ブラタモリ第83回-和歌山・高野山と空海 2017年9月16日(土)

 

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     ■ ■っ < 何から何まで真っ暗闇よ~♪ 鶴田浩二でございます! え、知らないの?
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☆高野山 曼荼羅 (こうやさん まんだら)

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     ■ ■っ < 曼荼羅! でんぐり返れば、曼荼羅!
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「胎蔵(界)曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」

曼荼羅(まんだら)は、サンスクリット語のmandalaの音写したもので、本来の意味は”本質、中心、精髄などを持つもの”を表し、仏教では、仏の悟りとその世界を意味する。

 

胎蔵界曼荼羅は、中尊の大日如来の周囲に、さまざまな働きをもつ405尊の仏を一定の秩序にしたがって配置したもの。

金剛界曼荼羅は、成身会(じょうじんえ)、三昧耶会(さまやえ)、微細会(みさいえ)、供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会(ごうざんぜえ)、降三世三昧耶会の九会(くえ)から成る。

<出典:ウキペディア>

 

 

 

 

☆空海とは

空海を知りたいときは、

コレ↓ 漫画です! 読みやすい。

空海

空海

弘法大師としてその名を現代にも残す「空海上人」の史上初の伝記漫画と思われる。
平安時代で西暦でもまだ四桁に達していない時代の人物である空海は、774年に讃岐国の豪族・佐伯氏の三男として生を受けた。

叔父にあたる阿刀大足(あとのおおたり)の教えを受けて学問に励んだが、徐々に仏教に興味を持つようになる。
叔父が桓武天皇の皇子の教師を務めていた縁で都で役人になるために学んでいたが、仏教にのめり込み出奔同然で各地を放浪。
その後、叔父にも無断で出家してしまい役人から僧侶へとなる。

当時の日本はまだ大陸の唐から文化・芸術・政治など多くの面で学ぶ後進国であった。
国家使節として派遣される「遣唐使」の一員となり、唐の国へ仏教の神髄である「密教」を学ぶために危険を冒して玄海灘の荒海を渡る。
密教の極意を短期間で習得した空海は20年の留学期間を短縮して帰国。
治世は嵯峨天皇の御代へと移り、天台宗の開祖である「最澄上人」と共に日本の仏教界の中心人物となっていくのである。

やがて先輩にもあたる最澄からも空海はその実力を認められ、遂には弟子入りされる身となった。
しかし、慎重な空海は密教を最澄に簡単には教えることが出来ず、二人はお互いを認めながらも袂を分かった。

その後の空海は高野山に金剛峯寺を建立して積極的な活動を行っていく。
民衆と交わり、土木工事や灌漑を施して感謝された。遣唐使として唐で学んだ技術が役に立ったのである。
彼が偉人たり得たのは「役人の子として生を受けながらも、力弱き民衆に寄り添う姿勢を生涯を通して貫いたこと」である。
そこには「慈しみの心」が常に宿っていたに違いない。

また、彼は書画も達人レベルであり、同時代の「嵯峨天皇」「橘逸勢」と並んで「三筆」と世に謳われている。
「弘法は筆を選ばず」の語源はここに由来する。

出典:アマゾンカスタマーレビュー

 

☆国宝 聾瞽指帰(ろうこしいき) 弘法大師筆

聾瞽指帰:ろうこしいき とは、[空海の書]である。

 空海は日本書道界の祖として重視されている。

 

 

☆ブラタモリ 第83回 高野山と空海 再放送 9月19日 深夜 25時~

 

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     ■ ■っ < 見逃した方、面白いよ~!!
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